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トロッコ問題はネットとかだと何かと反感を持ってこうすればいいとかトンチめいた解決策を提示されがちだけど、そもそも別にどっちを選ぶ?って問うてる話じゃなくてどっちの選択にも葛藤が発生するなら我々の信じている正義とは何だろうって俯瞰して考えるためのものなんですよね。
いい動画でした。なんでも規制緩和、市場原理というけれど皆が自己の利益を優先しすぎると囚人のジレンマみたいに結局全員損する状況になるんだと思う。(細かい所は違っても似たような感じ)
しっかり現実を見て悩まないといけない かな サンデル先生の白熱教室は哲学って面白いと思ったきっかけです。
とろっこもあるよで草ロールズの基本原理今読んでる所なので助かる
トロリーもあるよでも良かったかな?
どん語が解るのはなんJ民くらいじゃないですかね。ただ、なんJで飛び交う単語は掲示板向けの読み特化で会話には向かないという難点があります。社会生活を経て意見が変わるというのは私自身も経験しました。学生時代の日記なんかを読むと内容や主義主張が余りに尖り過ぎていて自分のことながら「この青二才め!」と言いたくなります。最後の道徳と政治行政の項で「配慮には自主的な権利の抑制や放棄が必要なのかな」と考えたのですがそれが言説の貧困化そのものだったので自身には公共生活の経験が足りない事を痛感しました。
ヒトが理性的な生き物足り得るとゆーのが幻想。言説の貧困こそがヒトの本質で、暴力だけが新陳代謝を促す。
1:06 ここ音だけで聞いてたら、小学生でオックスフォード行ったのかと思ってビビった!
マイケル・サンデルはジョン・ロールズの「無知のヴェール」を批判するだけではなくて、では具体的にどうすべきか?の対策をいろいろ考えて発信しているんですね。
トロッコはそもそも現実にそういう状況を作らない為に人類は常日頃に必死になって文化を極めて行っている訳で、仮にやむなくそうなった場合、それはその瞬間だけで考えてもそれは考え方自体狭くなる所。つまり、人命について悩み続ける事は常に日常的にも大事だけれど、何を選んだとしてもその人の責任は当然問われず、その上で反省点をしっかり学び次に活かすという事だろうと思う。結果からくる事態をどう悩み、あるいはどう苦しむのが正解か?とはまた別の問題。またそこにその人の絶対観の答えは無い。思想で変わる。起こった現実を受け入れた上でそれをどう次に活かすか?ここで云う正義とは人命をどこ迄深く考えるか?だけである。二度とそうした「状況を作らない」方向の努力に励むだけである。それが人である。そうした長いスパンで考えないと本当の答えはわからないし、それが基でシステムが発達を遂げたなら悲惨な事件そのものの持つ意味合いも変わってくる。どんな事でも現実の可能性は無限であり、どんな結果が起こるかは最期の瞬間までわからない。塞翁が馬で。何が違うか?と言うと、その公共善が過去二度の大戦を生み、現ロシアの進攻も本当の意味で大きく云えばロシアの国民の公共善が作り上げたものではないか?と。その国内で裁かれるか裁かれないか?だけの結論なら公共善は最良の答えになるだろうが、本当は一人一人の反省的自我の確立を善性の下の思想の上から促すしかないという話に成るしかなくなってゆく。。
エリートが1万人講義を聞いて、十年、二十年と経って、アメリカの政治や社会はその分変わった面はアッタカ?
トロッコ問題はネットとかだと何かと反感を持ってこうすればいいとかトンチめいた解決策を提示されがちだけど、そもそも別にどっちを選ぶ?って問うてる話じゃなくてどっちの選択にも葛藤が発生するなら我々の信じている正義とは何だろうって俯瞰して考えるためのものなんですよね。
いい動画でした。なんでも規制緩和、市場原理というけれど皆が自己の利益を優先しすぎると囚人のジレンマみたいに結局全員損する状況になるんだと思う。(細かい所は違っても似たような感じ)
しっかり現実を見て悩まないといけない かな
サンデル先生の白熱教室は哲学って面白いと思ったきっかけです。
とろっこもあるよで草
ロールズの基本原理今読んでる所なので助かる
トロリーもあるよでも良かったかな?
どん語が解るのはなんJ民くらいじゃないですかね。
ただ、なんJで飛び交う単語は掲示板向けの読み特化で会話には向かないという難点があります。
社会生活を経て意見が変わるというのは私自身も経験しました。
学生時代の日記なんかを読むと内容や主義主張が余りに尖り過ぎていて自分のことながら「この青二才め!」と言いたくなります。
最後の道徳と政治行政の項で「配慮には自主的な権利の抑制や放棄が必要なのかな」と考えたのですがそれが言説の貧困化そのものだったので自身には公共生活の経験が足りない事を痛感しました。
ヒトが理性的な生き物足り得るとゆーのが幻想。
言説の貧困こそがヒトの本質で、暴力だけが新陳代謝を促す。
1:06 ここ音だけで聞いてたら、小学生でオックスフォード行ったのかと思ってビビった!
マイケル・サンデルはジョン・ロールズの「無知のヴェール」を批判するだけではなくて、では具体的にどうすべきか?の対策をいろいろ考えて発信しているんですね。
トロッコはそもそも現実にそういう状況を作らない為に人類は常日頃に必死になって文化を極めて行っている訳で、
仮にやむなくそうなった場合、それはその瞬間だけで考えてもそれは考え方自体狭くなる所。
つまり、人命について悩み続ける事は常に日常的にも大事だけれど、何を選んだとしてもその人の責任は当然問われず、
その上で反省点をしっかり学び次に活かすという事だろうと思う。
結果からくる事態をどう悩み、あるいはどう苦しむのが正解か?とはまた別の問題。
またそこにその人の絶対観の答えは無い。思想で変わる。起こった現実を受け入れた上でそれをどう次に活かすか?
ここで云う正義とは人命をどこ迄深く考えるか?だけである。二度とそうした「状況を作らない」方向の努力に励むだけである。それが人である。
そうした長いスパンで考えないと本当の答えはわからないし、それが基でシステムが発達を遂げたなら悲惨な事件そのものの持つ意味合いも変わってくる。どんな事でも現実の可能性は無限であり、どんな結果が起こるかは最期の瞬間までわからない。塞翁が馬で。
何が違うか?と言うと、
その公共善が過去二度の大戦を生み、現ロシアの進攻も本当の意味で大きく云えばロシアの国民の公共善が作り上げたものではないか?と。
その国内で裁かれるか裁かれないか?だけの結論なら公共善は最良の答えになるだろうが、本当は一人一人の反省的自我の確立を善性の下の思想の上から促すしかないという話に成るしかなくなってゆく。。
エリートが1万人講義を聞いて、十年、二十年と経って、アメリカの政治や社会はその分変わった面はアッタカ?